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パラレルワールドラブストーリーの感想と考察【小説&映画】

2021年7月26日

 

本記事では映画「パラレルワールドラブストーリー」の感想をお届けします。

 

ケンタ
私がこの映画を見て感じたことは主に以下の2点です。

 

  • 人間の人生とは「記憶」である
  • 人間は基本的に自己中心的な生き物である

 

 

映画「パラレルワールドラブストーリー」の感想

 

物語は冒頭、2人の男女(崇史と麻由子)が並行して走る電車の窓から、お互いを意識しチラチラ見合っているシーンから始まります。

 

同じ速度で同じ方向に走ってはいるが、確実に違う世界に住んでいる人、、、 まさにパラレルワールドを表現しているシーンです。

 

一体どんな物語になるのだろう?と期待を膨らませてしまうシーンですね。

 

映画「パラレルワールドラブストーリー」は単純に仕掛けがおもしろい

 

本作品は、とにかくよーく見ていないとわけがわからなくなる構成になっています。(もちろん作り手は思いっきりそれを狙っています笑)

 

タイトル通り、2つの違う世界が交互に展開していくのですが、単純に2つの別世界があるように見せかけて、だんだん「あれ、、?」という感じになっていきます。

 

タイトルが「パラレルワールド」となっているので、観る側もそのつもりで見ていくわけですから混乱してしまうのは当然で、これは完全に東野圭吾さんの仕掛けた罠のようなものだと言えます。

 

原作には無いシーンで主人公の崇史がトンネルで「足の悪い杖をついた老人」とすれ違うシーンがありますが、これなんかは結構いやらしい仕掛けだと言えます。(これについての記事もありますので、気になる方はこちらもどうぞ^_^)

要チェック
パラレルワールドラブストーリーの老人に意味はあるのか?

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映画「パラレルワールドラブストーリー」で注目されていたラブシーン

 

本作品にはラブシーンがあるのですが、アイドルの玉森裕太さんと人気女優の吉岡里帆さんの絡みということで、かなり注目された方も多かったのではないかと思いますが、イヤラシさよりも、どちらかというと2人の複雑な感情が絡み合ったシーンという感じで、観る側をなんとも言えない気分にさせてくれるシーンだったと思います。

 

詳しくは別記事がありますのでこちらをどうぞ。

 

要チェック
「パラレルワールドラブストーリー」2つのラブシーン

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映画「パラレルワールドラブストーリー」のテーマは「記憶」

 

私的には、映画「パラレルワールドラブストーリー」のテーマは「記憶」だと思います。

 

観ていて思ったのが、「人間というのはとことん記憶に翻弄されている生き物」だということです。

 

人間の人生とは「記憶」である

自分を自分たらしめいているは紛れもなく「記憶」です。もちろん他人を他人たらしめているのも同じ。

 

人生というストーリーは「記憶」なくしては成り立ちません。

 

「記憶」というものは物質ではないため、外から確認することは完全に不可能です。記憶が消えてしまっても、傍から見れば、いつもどおりと全く変わらない姿のままです。

 

ですから、この映画の中の研究所の研究テーマである「記憶の改編」というは、人生そのものを書き換えてしまうという意味で、とんでもない研究だと言えるのです。

 

もしあなたの記憶が書き換えられたとしても・・・

ちょっと怖いなと思ったのが、もし仮に自分の記憶が書き換えられたりしても、自分ではまずなかなか気付けないだろうなということです。

 

人間、生きていれば過去の忘れてしまった記憶の一つや二つあると思います。周りの人間に言われて「あーそういえばそんなことあったな!」といったこともよくあります。

 

つまり、記憶なんてものは、消えてしまっていても大したことではないし、本人も無自覚なまま生きているということです。

 

ですから、自分はこうこうこういう人生を送ってきた、と仮に思っていたとしても、それが100%正しい、なんてことは誰にも言えない、ということです。

 

人間は記憶に苦しみ、記憶に人生をコントロールされている

 

作品内で智彦は、親友である崇史と恋人の麻由子の記憶をなかったことにするために、装置に自ら座り、記憶を消すことを選びました。

 

もし、そうでなければ、一生2人のことで苦しみ続けて生きることになる。たかだか記憶されど記憶。

 

記憶というものは、良いものはいいかもしれませんが、悪いものというのは、一生に渡ってその人間に苦しみを与え、さらに、その後の行動パターンに多大な影響を与えます。

 

そう考えると、「記憶」なんてものさえなければ、どんなに楽に自由に生きられるだろうか?なんてことを、わたしなんかは思ってしまうのです(^_^;)

 

人間は基本的に自己中心的な生き物である

 

智彦には肉体的なハンデがあり、それまでの人生ではなかなかまともな交際ができませんでした。

 

ですから、智彦にとっての麻由子は、普通の彼女、という存在ではなく、やっと出会えた運命の人、という感じです。

 

それを知りながら崇史は、親友である智彦の彼女を奪おうとします。もちろん、最初は罪悪感を感じてはいますが、やがては親友との友情を壊す覚悟で麻由子に迫ります。

 

人間は自分のためにしか生きられない

 

よく勘違いされていることではありますが、世の中には自己中な人間とそうでない人間がいる、ということではなく、人間というのは100%全員、自分のためにしか生きられません。

 

人間はとにかく、「自分が苦しい」と感じるような生き方はできません。「いやいや、そんなことはないやろ」と思うかもしれませんが、本当に自分にとって苦しい選択をして生きられる人間は1人もいないのです。

 

たとえば、本作品の中で、親友を裏切ってまで麻由子を手に入れようとした崇史という人間は、苦しみの大きさが「親友の恋人だから手を出さずに我慢する>親友を裏切る」だったということです。

 

ですから、もし苦しみの度合いが「親友の恋人だから手を出さずに我慢する<親友を裏切る」であるのなら、崇史が麻由子に手を出すことはなかった、ということです。

 

つまり、「何に苦を感じるか」が人それぞれ違うだけのことで、結局人間というものは、苦しみをただ避けて楽な方を選んで生きるしかない、ということです。

 

「親友を裏切ってしまった、、、」という苦しみに耐えながら生きることが、「自分の思いを押し殺して生きること」に比べて圧倒的につらいと思う人間が、親友の恋人に手を出すことはありません。

 

一般的には「恋愛感情を押し殺して友情選んだ君は偉い!」となるかもしれませんが、それも結局は自分がただかわいいだけなのです。苦しみたくないだけなのです。

 

まとめ|「パラレルワールドラブストーリー」の感想

映画版、小説版共に、本作品からわたしは「人間というものの面倒臭さ」「人生をただ楽しく生きることの難しさ」を感じました。

 

逆に言えば、記憶というものとの向き合い方、どこまでも自己中な自分への理解、がより良い人生を送っていく上で重要だということです。

 

作品内の登場人物には「記憶改編の機械」があるから、それを使えばいいのでしょうが、われわれはそうはいきません。それぞれが「自分なりの生きる術」を身につけていく必要があるでしょう。

 

本作品では、なんだか人間の本性や性質をまざまざと見せつけられたような気がします。

 

まだ観ていないよ、という方は、ぜひためしに観てみてください。

 

ケンタ
最後までお読みいただきましてありがとうございました

 

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