日本映画

映画「思い、思われ、ふり、ふられ」の名言集|心に響いたセリフ

2021年9月16日

思い、思われ、ふり、ふられ
ケンタ
本記事では映画「思い、思われ、ふり、ふられ」から名言心に響いたセリフをご紹介します!

 

本作品は恋愛ものでありながら、かなり「生き方」というものがテーマになっている気がしました!青春っていいですね。。

 

 

映画「思い、思われ、ふり、ふられ」の名言集|心に響いたセリフ

 

しないのと、できないってのは違う

好きな人がいるのに、なかなか告白できないという由奈に対する理央の言葉。

 

世の中「なかなか行動できない」という人が多いですが、結局、ほとんどの場合が「しない」という選択をしているだけです。

 

やろうと思えば可能なのに、自分の中に勝手にルール(言い訳)を作り上げ、行動できない自分を正当化してしまうのです。

 

「ほんのちょっとの勇気があれば、世界は一気に変わる」

 

それは間違いないことです。

 

ワーワー言う奴なんてほっとけよ。雑魚キャラだから

同級生の親同士が再婚したことなど、子供にとってはどうしようもないことでも、学校では茶化される。それに対する和臣の言葉。

 

これはなにも子供だけの世界ではないのかもしれませんが、世の中では一定数、人の不幸を楽しみながらウワサすることが大好きな人種がいます。

 

ワイドショーがこぞってタレントの不祥事や、スキャンダルなどを取り上げる理由がそれです。単純に視聴率が稼げるんですね^^;

 

心が繊細な人間は、たとえ自分に非がないことでも、周囲の人間や世間に否定されると萎縮してしまうものですが、そんな時はこの言葉のように「あいつらは雑魚キャラだからな」と笑い飛ばしてしまうのが一番です。

 

でも、、、好きのやめ方がわからない

由奈の言葉。

 

これは、、、 まぁ恋愛をしたことがある人ならわかりますよね^^; 本気でだれかを好きになってしまった時の感情というのは、完全に自分のコントロール外に置かれてしまいます。

 

ただ、自分の取る行動によって、なんとか変化させることは可能です。それこそ思い切って気持ちを伝える、とか環境を変えてしまうとか。。。

 

若い頃は特にですが、恋愛感情の暴走に手を焼くことは誰しもあるかもしれません。でも、それこそが「青春」であり人間らしい体験だと言えます。

 

だいじょうぶ。ふられたって死なない

理央が由奈の背中を押す意味で使った言葉であり、理央にふられたあと、由奈が自分に言い聞かせた言葉。

 

これは、もはや恋愛だけのための言葉ではありませんね。

 

何かリスクありそうな事にチャレンジする時、最後の最後で自分の背中を押してくれるのは、この究極の言葉。

 

失恋しようが、会社をやめようが、実際に死ぬわけじゃない。ビクビクしていないで、バンっと行動してしまえば、それがやがて貴重な経験となりますよね(*^^*)

 

家族が終わるのはもう嫌なの

子供にとって、家族というのはある意味世界の中心のようなものです。

 

これは、実際に親の離婚などを体験した人にしかわからないことだとは思うのですが、家庭が壊れてしまうことは、ある意味ではトラウマのようなものなのかもしれません。

 

親と言えども、まだまだ未熟な人間が多いのは紛れもない事実で、だれもが模範的な行動ばかりとれるわけではありません。なにか、仕方ない理由があって「離婚」という選択をする人もいるでしょう。

 

しかし、それでもその親の選択が、子供たちの人生観に大きな影響を与えてしまうものであることは、肝に命じるべきでしょう。

 

やさしい嘘をありがとう

家族の絆を一番に考え、行動する朱里に対して理央が送った心の言葉。

 

嘘をつくことは悪いこと、とは言い切れない場面が、人生にはあります。なんでもかんでも正直に言えば、それが一番か、と言えばそんなことはありません。

 

常に、相手のことを思った発言を心がけたいものです。

 

これからはわたしをもっと頑張ってみたい

「私なんかどうせ、、」そんな風に常に考えて生きてきた由奈が、理央への告白をきっかけにして、色々なことに挑戦していこう、という前向きな気持になれた時の言葉。

 

たしかに、人間は成長する過程で「上には上がいる」ということを知り、いつのまにか「身の丈にあった生き方をする」ということを覚えていきます。

 

そうやって生きた方が少なくとも「傷つかずに済む」というは、たしかに事実かもしれません。

 

しかし、すべての人間には綺麗事ではなくまちがいなく「無限の可能性」があり、それを開花させられるかどうかのカギを握っているのは、紛れもない自分自身なのです。

 

何歳になっても、「諦めて生きる」ということだけは絶対にしたくないな、と改めて考えさせられました。

 

夢に優劣なんかない!

親にDVDを捨てられてしまい、夢を諦めてしまった和臣に対する朱里の言葉。

 

確かに、本作品で言えば、朱里のような「通訳になりたい」という夢よりも、和臣の「映画を撮る人になりたい」をいう夢の方が親の反対をくらいやすいですよね。

 

その目標が非現実的であればあるほど、実現の可能性が低ければ低いほど、周囲からは「そんなの無理だ」と言わるようになります。

 

しかし、それに従うということは、つまり、他人の人生を生きる、ということになるのではないか。。

 

朱里が言うように、自分が本気で目指している夢ならば、そこに優劣はありません。そもそも、他人基準の目標を達成して、はたしてそれで「十分に自分の人生を生きた」と言えるでしょうか?

 

最終的に、人生は自己満足だと思います。心の底から満足できる人生を求めるのであれば、夢は自分で決め、我道を行くということが欠かせないと思います。

 

後付けでさ、自分が出来ない理由探すのだけはみんな得意だよね

夢を簡単に諦め、好きな気持があるのに何も伝えずに朱里を見送ろうとしている和臣に対する理央の言葉です。

 

すでにご紹介した「しないのと、できないってのは違う」という言葉にも繋がっていきますが、一般的に、ただただ普通にみんなにあわせて生きていくタイプの人は、「やらない言い訳、出来ない理由」を探す名人と言えます。

 

人はいずれ必ず死にます。

 

つまり、集着地点はもれなく全員いっしょなわけです。どんなに恥をかいたり、傷つくことを避けたりしたとしても、人は必ず死んでしまう。

 

であるならば、たった一度しかない人生のその瞬間瞬間を楽しみきって、やりたいことをとことんやってしまえばいい。そんな風に思います。

 

ここじゃないどこかは、ちゃんとあるんだ

夢を見ることを完全に諦めていた頃の和臣は、「ここではないどこかはない」と自分に言い聞かせていました。しかし、あらためて自分に正直に生きる事をはじめた彼にとって、この言葉が「真実」に変わりました。

 

人生は、自分の思い込んだ通りになります。

 

つまり「自分はこんなもんだ」と思い込めば、それがそのままその人の人生になりますし、逆に「まだまだこんなもんじゃない。きっとまだ見ぬ違う世界があるはずだ」と考えて行動し続ければ、その通りになります。

 

最終的に、どう生きようと、それはその人の勝手なので「ずーっと同じ場所にいる」という人生も全然ありでしょう。

 

ただし、、自分の心の奥底に、少しでも新しい世界への好奇心の芽があるのであれば、もし仮にチャレンジしなかった場合、ただただ自分を誤魔化し正当化し、他社を否定するだけの、醜い人生が待っているのは間違いないでしょう。

 

みんなの評判は?

【まとめ】

 

本記事では、映画「思い、思われ、ふり、ふられ」から名言心に響いたセリフをご紹介しました。

 

この作品は、よくある学園ラブコメディーというような作品では全く無く、全世代の方にとって、何かを感じさせてくれる本質的な作品なのではないかと思います。

 

自分の殻を破って新しい挑戦をすることは、何歳からでもできます。

 

それこそ、そこで年齢を言い訳にして何もしない人は、仮に若くても、また別の言い訳を探して行動しない方を選ぶのだと思います。

 

そんなことを、ふと考えさせられた、そんな素晴らしい映画だと思います。

 

ケンタ
最後までお読みいただきましてありがとうございました(*^^*)

 

あわせて読みたい

 

スポンサードリンク

-日本映画
-, ,