そんな方のための記事です。
結論から言いますと、映画と小説は細かい部分も含めて数多くの違いがあり、すべてをお伝えしようとすると記事がとんでもなく長くなってしまうので、ある程度省略した部分もありますが、結構ボリューミーな記事になりました^^;
注意ポイント
ネタバレを含みますのでご注意ください。
目次(ショートカット)
映画「フォルトゥナの瞳」の原作との違い|一覧
原作ならではのシーン
- 慎一郎のイメージが若干ちがう|喫煙者、公園でビールも飲む
- 遠藤が起業した時の話も描かれている
- 美津子が遠藤の奥さんではなく普通の女性事務員
- 慎一郎の家族は飛行機事故ではなく火事で亡くなった|妹(なつこ)もいた
- 金田は30代半ば(自称少年院あがり)
- 「フォルトゥナの瞳」の能力の基本設定が色々違う
- 映画版では出てこない透けている人が沢山いる
- 遠藤は慎一郎に二号店の店長ではなく「独立」の話しを持ちかける
- 真理子に関するエピソードがより詳しく描かれている|衝撃のその後
- クビを言い渡された金田が謝罪し、解雇の取り消しをせがむ
- 黒川が登場する場面が色々違う|最後に待つ悲劇
- 慎一郎と葵のシーンも色々と違う
- 遠藤の支援で慎一郎は独立する|「木山コーティング」
- 原作では宇津井(演 DAIGO)が透けて見えるシーンはない(死ぬこともない)
- クライマックスまでの流れがかなり違う
以上ズラーっとご紹介しましたが、実際にはこの5倍位(もっと?)多くの違いがありました。(記事が長くなりすぎないようにカットしました^^;)
では、映画版と原作版の違いの中から、いくつかピックアップし、少し突っ込んで解説します!
映画「フォルトゥナの瞳」の原作との違い|詳細を解説
基本設定の違い
美津子が遠藤社長の奥さんではない
映画版では社長の奥さんとして遠藤美津子(演:斉藤由貴)という名前で登場しますが、原作では立花美津子という名前で、工場に勤める女性事務員の一人として出てきます。
ただ、慎一郎と恋愛などの話をするというポジションは変わりません。
慎一郎のイメージが若干違う|タバコを吸う
映画版を先に観た人からすると、ちょっと違和感があるかもしれませんが、原作の慎一郎はタバコを吸います。
喫煙し、ビールも飲む、という感じなので、神木隆之介さんが演じる慎一郎のイメージとは若干違いますね^^;
慎一郎の家族は飛行機事故ではなく火事で亡くなった|妹の存在
映画版では、慎一郎は幼少期に飛行機の墜落事故で両親をなくしていますが、原作ではちょっと違いまして、自宅の火事で家族を失っています。
そして、映画では描かれていなかった今は亡き妹の存在が、彼の行動に大きな影響を与えます。
慎一郎が二号店の店長ではなく社長として独立する
映画版では、遠藤が経営する「GARAGE ENDO」の2店舗目の店長として働くことになった慎一郎ですが、原作では遠藤の後押しで独立することになります。
屋号もちゃんとありまして、「木山コーティング」という名前です。
ちなみに、開業費として合計1000万ほどかかり、そのうち7割は遠藤による投資というカタチになりました。(300万は慎一郎の貯金)
葵が透けて見えるのは最初の一回のみ(後半、透けるシーンはない)
これは結構大きな違いだと思うのですが、原作で葵が慎一郎に命を救われるのは最初の一回のみです。
それ以降、葵の姿が透けて見えることはありません。
「フォルトゥナの瞳の能力」の基本設定の違い
死に近づくにつれて透ける部分が増えていく
映画版ではなかった設定ですが、フォルトゥナの瞳の能力がある人間は、死ぬ寸前の人が透けて見えるだけでなく、経験を積むことで透けている範囲で「あとどれくらいで死ぬか」まで判断できます。
黒川曰く、3年後くらいまでは正確に予想できるということです。
死んでしまうと見えるようになる
原作では、死の直前までは相手の体が透けて見えるのですが、その人物が死んでしまうと再び普通に見えるようになります。
透明に見える人を携帯で確認すると普通に見える
原作では、まだ自分の能力に確信が持てない慎一郎が色々な事を試します。
街で見かけた体が透けている人を試しに携帯のカメラで撮影してみたところ、写真ではまったく透けておらず普通に写るのです。
それによって最初、慎一郎は「透けて見えるのはただの錯覚か勘違い」だと考えます。
鏡に写すと透けて見えない
原作では、肉眼で普通に見た場合透けて見える人も、鏡などに反射した姿は普通に見えます。
原作版で慎一郎は多くの「透けている人」に遭遇
原作小説「フォルトゥナの瞳」では、映画版よりも数多くの「透けて見える人」が出てきます。
そのたびに慎一郎の葛藤が描かれているのですが、ここでは映画版ではなかった「透けている人」を挙げてみますと、、
- 繁華街で歩く小太りの女性
- 工場のお得意さん「前田」
- タクシー運転手
- 病院内で、複数の患者
- ビアガーデンで50代の女性
- ケーキ屋のイケメンパティシエ
- 工場のお客さん「渡辺夫妻」
- 謝罪しに現れた金田…etc
以上ですべてではないですが、一通り挙げてみました。
この中では特に、タクシー運転手、ビアガーデンの女性、イケメンパティシエのシーンが「原作ならでは」という感じなので、興味のある方はチェックしてみてください。
慎一郎の葵へのアプローチ方法の違い
何度も葵の様子を見にショップを訪れる慎一郎
映画版では慎一郎が葵が勤める携帯ショップに訪れる回数は、せいぜい2~3回ですが、原作では、ストーカーのごとく何度も訪れます。
慎一郎は一定期間、葵が気の狂った女なのかと疑う
原作の慎一郎はとにかく脳内で様々な思考をめぐらせます。
手が透けていた葵をカフェに呼び出して救った日から、彼女が工場に突然現れるまでのあいだ、慎一郎は「もしかしたら葵は狂った女なのかもしれない」とまで考えます。
原作の慎一郎は、あらゆる面において勝手に自分でネガティブな妄想を膨らませ、自己完結し、結局行動できないタイプ、という感じがより色濃く描かれています。
葵に思いをよせる慎一郎の心の葛藤が詳細に描かれている
これも同じですが、明らかに葵からも良いサインが出ているにも関わらず、自分に自信がない慎一郎は、あーでもないこーでもないと良い想像と悪い想像を繰り返し、仕事が手につかなくなるまで葵のことばかり考えて、脳内で一喜一憂しまくります。
ちょっとイラッとくるくらいにあれこれ考える慎一郎ですが(笑)、これはこれで、ある意味リアルな感じもするかなーっと思いました。
告白後の初デート前にいきなり高価な指輪を買う慎一郎
これはちょっと個人的にびっくりしたのですが、原作で慎一郎は、告白した日の次のデートまでの間に葵のために70万もする指輪を購入します。
いきなり結婚する気満々で、若干暴走気味の慎一郎。しかも悲しいことに、その指輪は、、、、、
原作では、指輪の存在が、映画版とはかなり違う位置づけになっています。
映画版と原作の違い【真理子】
葵と出会う前に、唯一慎一郎が恋心を抱いた相手である真理子。
原作では、真理子が遠藤の工場で働くようになるまでの流れから、慎一郎との恋愛、そして工場を辞めてから2年後の様子まで、映画よりも詳細に描かれています。
真理子のウワサを聞き会いに行く慎一郎|変わり果てた姿 葵へ気持ちを伝える決意
宇津井(演:DAIGO)にもてあそばれ、捨てられてしまった真理子。
原作では、「真理子が横浜のソープで働いているのを見た」とウワサで聞いた慎一郎が、彼女を探しに行きます。
そして、実際にお店に入店し、彼女に似た女性を指名した慎一郎は、真理子のその変わり果てた姿に大きなショックを受けます。彼女は薬漬けの状態になっていたのです。。
「もし自分が勇気を出して彼女に告白していたら、こんなことにはならなかったかもしれない、、」 そんな思いに後押しされ、慎一郎はようやく葵に告白することになります。
映画版と原作の違い【黒川】
フォルタナの瞳を持つ医者の黒川(演:北村有起哉)と慎一郎のシーンも、映画版と原作ではかなり違う部分があります。
黒川との出会い
原作では、慎一郎が駅で体が透けている若者を見かけ、運命を変えるために話しかけたりしているところを「おい」と黒川に突然呼び止められます。
「お前には見えているんだろう」と言われた慎一郎はなんとか誤魔化そうとしますが、黒川に色々と追求され、結局二人は詳しい話をするために居酒屋に入ります。
そこで黒川は自分にも同じ能力があることを明かし、これまでに助けた人間の話など様々な事を話したあと、「他人の運命を変えるな」と慎一郎に忠告します。
別れ際、慎一郎が「黒川さんのお仕事はなんですか?」と聞き、そこではじめて黒川が医者であることが判明します。
黒川は透明になった人間がいつ死ぬかがわかる
これも原作ならではですが、黒川はこれまでに色んな人間を見てきた結果、体の透け具合を見れば、かなり正確に死期を当てることができると言います。
黒川曰く「3年以内ならほぼ見える。一年以内なら正確にわかる」とのこと。そして「俺には、お前の寿命も見えているぞ」と慎一郎に言います。
黒川の名言
原作の中で、黒川が言った言葉の中に、個人的に特に刺さったセリフがあるので、ここで紹介します。
「俺だってそうだが、人間というのは自分がいつ死ぬかがわからない。まあ、末期ガンにでもなれば別だがな。
しかし、もし自分の人生が三十歳で終わるとわかっていたなら、誰でもまるで違った生き方をするだろう。
だが、幸か不幸か、終わりがいつ来るかはわからない。で、たいていの奴が水で薄めてみたいな生き方をしている。
やりたいことや夢は誰でも持っているが、本気でそれに向かって進む奴派少ない。なぜかと言えば、自分には時間がたっぷりあると信じているからだ。何の根拠もなく、な」
引用元:フォルトゥナの瞳 (新潮文庫)
フォルトゥナの瞳を持つ者には、突発的な事故で死んでしまう人間であっても、その運命が見えてしまいます。
体が透けてしまっているのに、自分が死んでしまうことなど全く知らずにのんびりと生きている人間を、これまで嫌というほど見てきた黒川ならではのセリフです。
黒川が最後に辿る運命
これは完全にネタバレになってしまうので、細かくは書きませんが、原作の黒川は映画とは違った運命を辿ることになります。
映画版と原作の違い【金田】
原作の金田の人間像
映画版の金田は志尊淳さんが演じており、若くてイケメンな雰囲気ですが、原作の金田は年齢が30代半ばで、自称少年院上がり、いつも慎一郎から金を巻き上げている、、、、という感じのキャラクターです。
ただし、反省を重ね、最終的にだんだん良い奴になっていく、、というのは共通です。
運送会社で勤め始めた金田|謝罪しに来るが、、、、
原作では、クビにされた恨みから社長の遠藤を襲撃した金田は、その後反省し、遠藤から紹介された運送会社で働き始めます。
独立した慎一郎のもとの突然現れた金田は、これまでのことを謝罪し、慎一郎にエールをおくります。しかし、、、なんと、その時の金田の指が透明になっていたのです。
原作の物語のクライマックスでは、映画版と違い、金田が深く関わってきます。
まとめ
本記事では、「フォルトゥナの瞳」の映画版と原作の違いについてお伝えしました。
細かいものも含めると、数多くの違いがありましたね。わたしは映画版を先に観たのですが、原作を読んでみると色々と違う部分があってかなり楽しめました。
「原作はまだ」という方は、機会があればぜひチェックしてみてください。
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