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僕は明日昨日のきみとデートするは意味わからない?その矛盾を解く

2021年7月29日

 

映画「僕は明日昨日のきみとデートする」は、タイトルをよーく見れば、そのストーリーの基本コンセプトがわかります。

 

しかしながら”パッと見ただけ”では一瞬意味がわからないですよね。

 

映画の本編も、流し観している程度だと、一瞬「????どういうこと?」「矛盾してね??」「設定おかしくね?」となってしまうと思います。

 

ケンタ
ケンタ
本記事では、わたしも個人的に大好きな名作映画「僕は明日、昨日のきみとデートする」の、ちょっとややこしい物語の基本設定を「意味がわからない」という方のためにわかりやすく解説します。

 

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映画「僕は明日、昨日のきみとデートする」の基本設定をわかりやすく解説

 

ではまずここで、映画「僕は明日昨日のきみとデートする」の基本的な物語の設定を説明してみたいと思います。

 

ケンタ
ケンタ
結構これがややこしいのです(^_^;)

 

時の流れが逆方向に進む二人

 

まずこれが大枠となる設定なのですが、愛美と高寿は時の流れが全く逆の世界に住んでいます。これはまさにタイトルどおりなのですが、高寿にとっての「明日」は愛美にとっての「昨日」ということになります。

 

一瞬脳がフリーズしそうな設定ですね(笑)

 

しかし1秒1秒が逆に流れているわけではない|1日単位で考える

 

二人の時の流れが反対だ、と言っても、もしそれが1秒単位で反対だったら、わけがわからなくなってしまいますし、恋愛なんてできません(笑)

 

実際には、時の流れが反対と言ってもそれは「1日単位」で反対ということになります。

 

つまり、同じ1日の中だけで考えれば、二人は同じ時の中にいますし、単純に時間も朝から夜へむかって流れていく、ということです。

 

二人が同じ世界にいられる期間は30日間のみ

 

基本的に、われわれがこの作品を映像として観ている世界は「高寿側」の世界です。

 

愛美が別の世界に生きていて、5年に一度だけ限定30日間ではありますが、高寿がいる世界に来ることができるようです。

 

織姫と彦星のように毎年会えるわけではない|5年に一度

 

この設定を聞くとまるで織姫と彦星の物語のようですが、先にお伝えしました通り、それは七夕のように”年に一回”ではなく「5年に一度」だけです。

 

しかも、二人の時の流れが反対になっているので、高寿が5歳年を食ったら、愛美は5歳若くなってしまうのです。

 

もし仮に、せめて同じ方向に時間が流れてくれるなら救いがあるのですが。。

 

ですから、「二人の恋愛」は一生のうちで、お互いが20歳であるこの30日間限定、ということになってしまうのです。(さすがに15歳と25歳の恋愛は不可能ではないにしろ無理がありますよね(^_^;))

 

映画「僕は明日、昨日のきみとデートする」はお互い初対面ではない

 

二人が最初に出会うシーンを観ていると当然、二人は運命的に電車内で出会った、かのうように見えます。しかし実際には、それ以前に二人は出会っています。

 

5歳の時に溺れそうになったのを助けられた高寿

 

高寿は5歳の時に池で溺れて危うく死にそうになった経験があります。その時、見知らぬ女性が助けてくれた、ということなのですが、それが実は愛美だったのです。

 

しかし、本編の中で高寿と恋愛している20歳の愛美は、その事実を知ってはいるものの、本当にそれを経験したわけではありません。

 

実際に高寿を助けるのは、15年後です。高寿5歳、愛美35歳の時です。

 

5歳の時にお祭りの爆発事故で助けられた愛美

 

そして、愛美は5歳の時にはじめて「高寿側の世界」に来たのですが、その時家族でお祭りに遊びに行った際、爆発事故に遭います。その時、彼女を救ったのが35歳になった高寿です。

 

当然、20歳の高寿にとってはまだ未経験のことです。

 

お互い、相手には会ったことがあるが、目の前にいるその相手は、まだその当時のその人にはなっていない。。。

 

うーむ、、、 なんてややこしい話なのでしょうか笑

 

二人で一つの命

 

物語の後半で、高寿は気付きます。「自分たちはお互いの存在なくしてはこの場に存在しえない、二人で一つの命」だということに。

 

完全に頭がこんがらがってしまう話

 

これまでお伝えしたすべての設定を踏まえますと、二人はお互いの存在なくしては生きられない、運命共同体だということがわかります。

 

時の流れが真逆である二人は、5歳の頃に相手に命を助けられています。つまりお互い、その時に相手がいなければ死んでいたということ。

 

しかし、実際に二人は二十歳になって出会います。つまり、お互いに将来、35歳になった時点で相手を助けることができずに死なせてうとしたら、そもそも二人がそこで(二十歳の時点)出会うことはなかった、ということです(わかりますでしょうか。。わたしも理解ギリギリです 笑)

 

もちろん、これはファンタジーなので現実にはまったくあり得ない話なのですが、理屈的にはそうなります。

 

わたしなりの解釈では、もはやこれは「時間」という概念がないということです。

 

つまり、すべてのことは過去も未来もなくすべて同時に起こっている、という解釈です。そう考えれば、なんとなく腑に落ちるような落ちないような(^_^;)

 

もしかしたら、この物語はこの理論をもとにしているのかな?と思う記事を見つけたので、興味のある方はどうぞ→ http://mbp-japan.com/kyoto/kyotocl/column/2616985/

 

まとめ

 

本記事では、考えれば考えるほど頭がぐちゃぐちゃになっていまう名作、「僕は明日昨日のきみとデートする」の解説をさせていただきました。

 

「この映画どういうこと?」と思ってモヤモヤしていた方の理解の助けになれれば幸いです(逆にこんがらがってしまった方には申し訳ないです 笑)

 

ケンタ
ケンタ
最後までお読みいただきましてありがとうございました!

 

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